サウジアラビアは3月に中国の支援の下、イランとの関係正常化に公式合意し、外交政策観測筋を驚かせた。隣接する両国の関係は、宿敵であるスンニ派とシーア派の宗派間の代理戦争として知られるが、その両者の合意は、イスラム教内の緊張を緩和するものとして期待される。
一方、サウジアラビアは最近、もう一つの宗教的な正常化、つまりキリスト教信仰の公認に向けて、あまり目立たない形で歩みを進めている。
このことにおける支援国は、エジプトである。
エジプトのコプト正教会のマルコス主教は、「9年前、私は『祈ってよい。しかしそれを公にしてはならない』と言われた。今では、サウジアラビア自らが公表している」と語る。
1月7日、マルコス氏は1か月にわたる司牧訪問の皮切りに、サウジ王国に住む3000人のコプト教徒たちの中で東方クリスマス典礼を祝った。エジプト大使館の仲介で、リヤド、ジッダ、ダンマーム、コバール、ダーランでも「サウジ当局の全面的な後援のもとで行われた」。
メッカとメディナの巡礼地を擁するイスラム国家が認めた初めての公的なクリスマスの祝典である。イスラム教の伝統では、ムハンマドがアラビアに2つの宗教が存在することを禁じたとされているが、その地理的範囲については学者によって異なっている。
しかし、マルコス主教の旅は、キリスト教の礼拝として初めて許可されたものではなかった。
彼は、2012年に当局とエジプト人キリスト教徒出稼ぎ労働者の間の紛争を解決するために派遣されたが、その後サウジアラビア訪問について祈り始めた。マルコス氏は、同国内にいる210万人のキリスト教徒(ほとんどがフィリピンのカトリック教徒)のうち、約5万人がコプト教徒であると推定している。
しかしそこに彼らが礼拝する教会などはない。オープン・ドアーズのワールド・ウォッチ・リストでは、今日キリスト教徒であることが最も困難な50か国のうち、サウジアラビアは13位にランクされている。以前、コプト教の聖職者が訪問する際は、隣国のバーレーンで信者に面会していた。
しかし、2014年のマルコス主教再訪の際には、約4000人の信者のために典礼を実施したという。カタールのニュースネットワーク「アルジャジーラ」がリークした取材が注目される結果となったが、サウジアラビア側は主教に、問題ないと伝えた。数週間に及ぶ司牧旅行は毎年続き、ついに2016年にはサウジアラビアのサルマン・ビン・アブデル・アジズ国王がエジプトのコプト教皇タワドロス2世を訪問することとなった。
さらなる開放につながったのは、2018年だった。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子(通称MBS)が3月にカイロのコプト正教会の大聖堂を訪れ、善き羊飼いであるイエスのイコンの前でタワドロス教皇と有名な記念写真を撮った。そして、教皇をサウジアラビアに招き、さらにマルコス主教の訪問継続を促したのだ。
同年12月、最初の典礼が正式に報告された。
しかし、誰もが喜んだわけではない。欧州コプト組織連合のスポークスマンであるメダート・クラダ氏は、ジャマル・カショギ氏殺害後のサウジアラビアのイメージを体裁よく見せかけようとする試みであると述べた。コプト教徒の権利を研究するミナ・タベット氏は、教皇の歓迎姿勢を「不名誉」と呼んだ。
これらのことがどのように理解されようと、変化は明白だ。2011年、サウジアラビアはジッダで無許可の礼拝を行ったとして35人のキリスト教徒を逮捕した。14年には、ダンマームで12人のエチオピア人キリスト教徒が逮捕された。しかし16年、サルマン皇太子は宗教警察の権力を抑制し、18年にはジョエル・ローゼンバーグ氏が率いる福音派の代表団を迎え入れた。
彼らは、教会建設の可能性について話し合ったのだ。
早くも2008年にはカトリック関係者から打診があり、サウジのさまざまな人物が「間違いなくそれは来る」と言い、当局の「実行リストに入っている」と述べている。その場所については、多くの憶測がある中、首都リヤドの外交地区か、北西部の砂漠にある5億ドルのプロジェクト「ネオム」が、有力視されている。
ネオムの宣伝資料には、国際法の下での宗教の混在が語られている。
2019年、サウジアラビアはこの地域をキリスト教徒の観光に開放した。ここは古代ミディアンといわれ、シナイでモーゼが杖を打つとイスラエルの民に水が出たホレブの奇跡に似た岩の割れ目がある。
巡回牧師のジョエル・リチャードソン氏は、リビング・パッセージズ社を通じて5回のツアーを実施しており、社としては全体で11回に及んでいる。
「政府は徐々に宗教の自由を認めています」と、リチャードソン氏はマルコス主教のクリスマス典礼に言及した。「私たちが望むことは、サウジアラビアでクリスチャンになったすべての人にも、いずれは同じ様に、真の信仰の自由が訪れることです」
イスラム教からの背教は、正式には死刑に処される。
イランとの関係修復には懸念を示しながらも、リチャードソン氏は、サウジアラビア人から常に「格別の温かさと優しさ」で迎えられてきたという。聖書の朗読や讃美歌の歌唱を伴うツアーであっても、普通に行うことができた。
神学的な対話は歓迎される。クリスマスに、マルコス主教が、サウジアラビアが後援するムスリム世界連盟(MWL)の事務局長ムハンマド・アル・イッサ氏を訪問した際もそうだったように。
マルコス主教は言う。「私たちはイエスの十字架刑と復活について話し合いました。彼は悪びれることなく、微笑んでいました」
街中でも同様に温かく迎えられた。十字架を首にかけ、手にももう一つ十字架を持つ典型的な黒いローブ姿のマルコス主教は、サウジアラビアの一般市民が路上で一緒に写真を撮ったことを話した。
そしてこの年、クリスマスツリーやサンタの帽子がショッピングモールで公に販売された。
また2019年、サウジアラビアは139か国から1200人の学者を招集し、国際的な宗教の自由に関する30項目の憲章である「メッカ宣言」に署名した。第21項は、世界の指導者が差別を避けることを約束し、第22項は、各国政府が礼拝所と少数派の権利を保護することを約束し、第29項では、その実行を呼びかけている。
3年後、そのビジョンは勢いを増したように見える。昨年5月、リヤドで開かれたMWL主催の宗教間会合には、バチカン国務長官、正教会のエキュメニカル総主教、世界福音同盟(WEA)総主事、15人の著名なラビ、米国の国際宗教自由担当特命大使が参加した。
彼らは、すべての国が、人々の礼拝所への自由な出入りを保証するよう、勧告した。
「イスラム教発祥の地であるサウジアラビアに本部を置く世界最大のイスラムNGOとして、私たちにはこの活動を行う特別な責任があります」とアル・イッサ氏は述べている。
WEAのトーマス・シルマッハ総主事は感銘を受けた。
彼は言う。「私はこれまで、見せかけと言葉だけの国際対話会議に数多く出席してきました。今回の会議は、そんなものではありませんでした」
シルマッハ氏は特に、米国を拠点とする全米福音同盟も招待されていたこと、アル・イッサ氏が、全代表の約半数がプロテスタント信者であったと確認したことに、言及した。
彼は、サウジとイランの合意について肯定的な印象を持っており、この地域のすべての戦争はキリスト教徒にとって「悪夢」であったと指摘した。平和と正義は、中東のイスラム教徒とユダヤ教徒にとっても同様に必要なものである。
そのユダヤ教徒は今週、メディナにナツメヤシの木を植える異宗教間の代表団に参加することによって、イスラム教の黎明期に彼らユダヤ人が最後に住んだ街に戻ってきた。
西暦622年、ムハンマドがアブラハムの宗教の共存を確立したこの地に、サウジ王国は5年前、非イスラム教徒が入ることを許可した。しかし、ユダヤ人はその3年後、条約に違反したとしてメディナから追放されたという。
メッカは閉鎖されたままだが、湾岸は段階的に開放されている。アラブ首長国連邦が主導した2016年のマラケシュ宣言は、ムハンマド時代の「メディナ憲章」の世界的復活を目指し、その1年後のバーレーン宣言では、宗教上の"選択の自由"を特に打ち出している。
アラブ首長国連邦とバーレーンは、アブラハム協定でイスラエルと関係を正常化しており、次はサウジアラビアではないかと、専門家は分析している。
いずれにせよ、シルマッハ氏は、サウジアラビアにいる50万人の福音派にとって、さらなる朗報がもたらされることを期待している。
「彼らは中東で最大のコプト教会から始めたが、私たちの議論は、カトリックやプロテスタントにも同様の動きがあることを確信させるものです」
地域間の力学が進行し始めている。
サウジアラビアは、湾岸諸国の中で、バチカンとの公式な関係を持たない唯一の国となった。先月オマーンが、バチカンとの外交関係を樹立したためである。マスカットにあるアメリカ改革派教会が設立したアル・アマナ・センターの総主事ジャスティン・メイヤーズ氏は、マルコス主教のクリスマス訪問を“美しいもの”と呼んだ。
この動きは、アラブ首長国連邦のキリスト教指導者たちにも歓迎された。
「アラビア半島の他の国々は、キリスト教会への開放が国にとって利益となり、地元の伝統に対する脅威にはならないことを理解しました」と、2016年に設立された湾岸神学校の学長、エリック・ゼラー氏は語った。「サウジアラビアも同じ理解に至る可能性があります。この動きがその方向への一歩であるとすれば、心強いことです」
マルコス主教は、サウジアラビア当局と教会建設については議論していない。しかし、彼はムハンマド・ビン・サルマン皇太子を「広い角度」からすべてを研究する賢明な指導者であると評価している。コプト正教会の公式声明は、彼を若い世代とグローバル社会への開放性を代表する存在として称えた。
確かに彼への評価は一様ではない。しかしマルコス主教が注目したのは、サルマン皇太子を、自分を批判する者を黙らせる独裁的な強者とみなす欧米の批判ではなく、依然として地域で影響力を持つ宗教的な反対派の方である。
彼は言った。「イスラム世界の狂信者たちが私の訪問を嫌ったのは、彼らがこの土地には教会やキリスト教の礼拝は立ち入り禁止だと考えているからだ。しかし、サウジアラビアは私たちを歓迎してくれたのだ」