クリスチャニティトゥデイは、神道の教えとはどういうものか、この日本古来の宗教がどう発展したかについて、東京基督教大学国際宣教センターの山口陽一センター長にインタビューした。
神道とは何ですか?
日本最古の宗教である神道は、いちばん古くは縄文時代(紀元前10,500年から紀元前300年)に実践されていた可能性があります。その後、仏教や儒教などの他の思想や宗教の影響を吸収することにより発展しました。
神道は日本で生まれた宗教で、自然や様々な「神」への礼拝を強調します。神は、いろいろな自然現象や物体のうちに宿り、日本人は、すべてのものに神の霊が宿っていると考えます。
神道は先祖崇拝と儀式的な清さを強調しますが、統一された教理や儀式はありません。したがって、神道は非常に漠然としたもので、日本の宗教学者はいまだに、これを宗教というべきかどうか議論しています。
この柔軟性は、神道の最も重要な特徴の一つです。神道学者の薗田稔は『日本宗教事典』の中で次のように説明しています。「一つには、神道の成立が日本の民族文化のそれとほぼ一体であって、かつて一度もこの民族社会を離れて営まれたことがない宗教文化だという事情がある。そして二つには、現代の常識から見て宗教と言うにはあまりにも漠然としていて、どこかで神道に触れているはずの日本人も一般にそれをことさら宗教と意識することがないという現実があるからであろう。」
神道の中核にある教えは何ですか?
厳密に言うと、神道には正式な教理がありません。強いて言えば、日本の国土、神々、先祖に対する直感的な尊敬の上に成り立っています。
神道のいちばんの特徴は、儀式的な清さと自然との調和とを重んじることです。しかし、この清さの考え方は、神の前での聖さというキリスト教の概念とはかなり違います。
超越的存在との関係性における聖さを追い求めるというよりは、神道では主観的な内面の清さを重んじます。たとえば、神社の静ひつな森の玉砂利の道を静かに歩くことそれ自体が、神道では霊的な教化なのです。そうした行いが情緒的な安らぎを促すのですが、それは教理的な命令から来るのではありません。
神道の重点は神と人との交わりではなく、個人が自然と調和的に一体化することにあります。これはキリスト教の霊性と根本的に異なります。
欧米の観点からすると、これはポストモダンの無宗教スピリチュアリティのトレンドに似ています。でも、日本はヨーロッパのようにポストモダンに転ずる前の近代化を経験していません。日本はずっと、超越的存在が自分の外におられる(extra nos)のではなく、内におられる(intra nos)という枠組みを持ってきました。神道には、キリスト教の特徴である超越的な神という考えがありません。
神道は日本でどのように発展し、栄えたのでしょうか?
神道は日本人のアイデンティティの中心にありましたが、儒教や仏教の価値観も共存してきました。歴史的に、多くの日本人は本地垂迹(ほんじすいじゃく)という考えを持っていました。つまり、日本に元からいる神道の神々は、様々な仏の仮の姿として現れたという説です。この考えは、日本の神仏習合の普及に影響を与えました。
江戸時代(1603–1868)後期になると、国学運動が出現し、日本固有の伝統を明確にし、純化しようとします。本居宣長や平田篤胤といった国学者は、仏教や儒学などの「不純な」要素を取り除き、神道のような日本「本来の」価値観を再発見しようとしました。
この知的運動は、明治維新に哲学的推進力を与えました。1868年に起きたこの政治革命は、やがて明治政府が天皇中心の世界観を制度化する、いわゆる国体という概念へとつながっていきました。
本シリーズには、日本における「神道の歴史的・今日的影響」、「キリスト教と神道の対話」、神道の影響下にある社会において「いかに伝道するか」についての記事がある。