ケイ・アーサーが亡くなった朝、フロリダ州ゲインズビルで、ある女性がアーサーの教材をガイドとして聖書研究を指導していた。
バージニア州ハンプトンでも同様の集会が開かれた。3つ目はコロラド州エリザベス、4つ目はワシントン州スポケーン・バレーで開かれた。翌日にはさらに多くの女性が集まり、さらに多くのグループが集まった。そして明日も明後日も、さらに多くのグループが集まる予定だ。
彼らは皆、アーサーの本と方法を使用している。
「神の言葉を知る必要があります。そして、そこには基礎があります」とアーサーは2023年に語った。「テキストに印を付けてほしい。テキストに印を付け、色を塗るという行為によって、私たちは『色鉛筆派』として知られています。テキストに印を付け、繰り返される重要な言葉を見つけ、テキストが何を言っているのかを理解するのです」
アーサーは、自身の「帰納的聖書研究法」を解説し、応用した著書を100冊以上執筆または共著した。彼女の著書は累計1,850万部以上を売り上げている。 『主よ、28日間で祈りを教えてください』をはじめとするいくつかの著書はベストセラーとなり、『主よ、成功するには恵みが必要です』や『後悔のない結婚』などは、福音派の書店からキリスト教出版物の最高傑作として認められた。
アーサーはまた、20年以上にわたってラジオとテレビの番組を受け持ち、7,500万世帯に届いていた。
しかし彼女にとって、最終的な成功の尺度は、彼女が育てて力づけた人々が聖書を学び、他の人々にも聖書を学ぶよう教えることだった。
「これが本当の万人祭司です」とアーサーは言った。「私たちは人々に、神の真理を自ら発見し、神の言葉を通して神の声を聞く方法を教えているんです」
アーサーは5月20日火曜日、91歳で 亡くなった。
「ケイ・アーサーほど主に献身し、聖書の教えをたゆまず忠実に教え続けた人を私は知りません」と、聖書教師のベス・ムーアはソーシャルメディアに綴った。「ケイ、ありがとう。あなたは比類のない人でした」
牧師であり伝道師でもあるグレッグ・ローリーはアーサーを「真の逸品」と呼んだ。
「彼女は聖書を学ぶのが大好きでした。そしてそれ以上に、他の人にも聖書を学ぶよう勧めるのが大好きでした」と彼は言った。「彼女がいなくなると寂しくなります」
アーサーは1933年11月11日、ミシガン州ジャクソンでリアとジョン・E・リーの娘として生まれた。彼女の父親は米国聖公会の信徒指導者で、一家は定期的に教会に通っていたが、アーサーはそれを退屈に感じていた。彼女は聖書を読もうとしたものの、最後まで読むことができなかったと後に回想している。
アーサーはケース・ウェスタン・リザーブ大学に進学し、正看護師になるためにオハイオ州へ移住した。20歳の時、フランク・トーマス・ゲッツ・ジュニアと出会い結婚した。トムと彼女が呼んでいた彼は、アスリートで海軍少尉だった。彼はアーサーに大きなダイヤモンドの指輪と幸せな人生への希望を与えてくれた。二人の間には二人の子供が生まれたが、後にアーサーが回想するところによると、結婚生活は破綻していた。診断されていない精神疾患も一因だったという。二人は6年後に離婚した。
離婚した彼女は、モデルの仕事を始めたり、様々な男性(そのうちの一人は既婚者)とデートしたり、自分を幸せにしてくれると思い込んだが実際はそうではない物事を追い求めたりした。
「ミンクもお金もあったのに、惨めな気持ちでした」とアーサーは語った。「『過去を消し去ることができたら。新しいスタートを切れたら』と考えていました」
そして1963年のあるパーティーで、ある友人が彼女に、「あなたが必要だと思っているものは、実は全部必要じゃないのよ。必要なのはイエスだけよ」と言った。
翌朝、29歳の彼女はキリストに人生を捧げた。すぐさま彼女は、自分が聖められ、愛され、平安であることを感じた。
彼女は再び聖書を読み始め、それがとても興味深いものであることに驚いた。
「聖書は全く新しい本になりました」とアーサーは言った。「それ以来、私はずっと聖書に携わっています」
改宗したばかりの二児の母である彼女は、宣教師の伝記も読みあさった。元夫の死後、彼女はチャタヌーガに移り住み、テネシー・テンプル大学で看護学の学位を取得した。しかし同時に、宣教の地で神に仕えることも夢見ていた。ある日、彼女は礼拝堂で講演する予定の宣教師への祈祷カードを見つけた。そして、自分とこの宣教師が結婚するだろうと神が告げているのを感じた。
その宣教師、ジャック・アーサーはそれが神の望みだと同意し、二人は1965年12月に結婚した。翌年、二人は自給した宣教師としてメキシコに移住した。30代前半になったアーサーは、10代の若者に聖書を教える任務を負った。しかし、彼女が見つけた聖書研究教材のほとんどは実に退屈に思えた。中には、子どもたちが教師の話を聞いて空欄を埋めるように求めるだけで、聖書を自分で読むように促すことすらしないものもあった。
アーサーがブライアン大学の聖書学教授アーヴィング・ジェンセンの著作を見つけたとき、それはまさに突破口のような気がした。彼は「帰納的聖書研究」を提唱していた。つまり、まず本文を注意深く読み、キーワードやフレーズを探し、それらを他の聖句と相互参照し、さらに視野を広げてその書物全体の文脈を考慮し、そして人生に応用できるより大きな教訓を探るという方法だ。
「時間はかかりますが、聖書は絶対的で、純粋で、混じりけのない真理の書です!」とアーサーは言った。「聖書は聖書を解釈します。…聖書を各書ごとに読み進めてください。聖句に印をつけてください。すぐにあなたの友となるでしょう」
3年後、一家はアメリカに戻った。1970年、夫妻はテネシー渓谷にある32エーカーの農場で若者向けのミニストリーを開始し、「リーチ・アウト」と名付けた。アーサーは聖書研究の指導を続け、人々が自力で学べるよう育成する独自の教材を開発した。
1982年に彼女がローマ書の最初の学習ガイドを出版したとき、リーチ・アウトはプレセプト・ミニストリーズ(Precept Ministries)と改名した。この名称はイザヤ書28章から取られている。「彼は知識をだれに教えようとするのか。知らされたことをだれに悟らせようとするのか。乳離れした子にか。乳房から離された子にか。彼は言っている。『ツァウにツァウ、ツァウにツァウ」[訳注:「ツァウ」は決まり、すなわちpreceptの意。](9~10節)
アーサーはその後40年間、聖書の読み方を教え続けた。学者のハリー・グレイ・スコットによれば、彼女は「世界で最も多作な聖書研究書の著者であり、教師の一人」となった。アーサーは、ベス・ムーア、プリシラ・シャイラー、ケリー・ミンターなど、聖書を教える活動を行う他の女性たちに大きな影響を与えた人物として、しばしば言及されている。
プレセプトは、これまで25万人以上の人々に聖書研究の指導方法を訓練してきたと報告している。その多くは、今週、他の女性たちに聖書の読み方を教える女性たちだ。
ミネソタ州レイクビルの自宅で聖書研究会をしている女性もいる。ジョージア州ケネソーの自宅でも聖書研究会をしている女性がいる。ノースカロライナ州ロッキーマウントやウィスコンシン州オコノモウォックの無宗派教会、テキサス州カントンのバプテスト教会、カリフォルニア州サンタアナの長老派教会、オレゴン州ダラスの聖書教会、さらにはオハイオ州ゼインズビルの空港でも聖書研究会が開かれている。
「私の使命は、すべての人が霊的に自立できるようにすることです。神の言葉を知らなければ、それは不可能です」と彼女は言った。「イエス・キリストの模範的な信者として、聖書を帰納的に学び、聖書的に世界を見つめ、聖霊の力によって忠実に教会に仕える人々を見るとき、それこそが素晴らしい完成形なのです!」
アーサーは2017年に夫を亡くした。遺族には3人の息子(トム・ゴーツ、マーク・ゴーツ、そして現在このミニストリーを率いるデイビッド・アーサー)、そして9人の孫と7人のひ孫がいる。家族は私的な追悼式を予定しており、その模様はオンラインで配信され、一般公開される。